2月19日(土曜日)、恒例のヴァレンタイン・コンサートが八千代台文化センターにて行われた。1ヶ月ずれてホワイトデイー・コンサートという名前になることもままあるにせよ、このコンサートは今年で15回目の誕生日を迎えたとのこと。すばらしい努力!
毎回、水野修孝の新作発表の場、と勝手に解釈している筆者としては、今回は???というコンサートであった。新作ではなく、ミュージカル<イノセント・ムーン>からの演奏であったためである。しかし演奏を聞いて、なぜここでこの作品をとりあげたのか、理由はすぐに理解できた。

ミュージカル<イノセント・ムーン>は金井誠の台本に水野が作曲したものであり、1999年完成、同年9月に初演(八千代市民会館小ホール)。2001年亀有リリオホール再演に際し、改訂の手を加えている。このコンサートで演奏されたものはその中からの2曲、<ルナの嘆き>と<人を好きになること>であった。演奏は、村上初美(ソプラノ)、斉藤渉(バリトン)、ヴァレンタイン・アンサンブル(室内オーケストラ)であった。

全体のストーリーは現代版、かぐや姫である。テレビもない隔絶された架空の村にすむルナと周囲の村人、東京からきたテレビ局員たち。ルナは月に住む母を待ちわびている純粋無垢な娘。現代文化を封印してしまった村から飛び出て都会ヘ向かう若者の姿。現代社会のもつひずみをさりげなく風刺しつつ、愛を求め、夢を求め生きることへの作曲者の希求をひしと感じる作品である。音楽はあくまでもモダンであり、ロマンティク。

初演、再演ともオーケストラはコンピューター打ち込みの音であった。もちろんそれでも作品の魅力は伝わり、作品について理解できるものであったが、この日は弦楽オーケストラの生演奏であった。目からうろこではないが、打ち込み音源でいかにこの作品の魅力が減じられていたのか、おそらく両方を聞いた者はすぐさまそれを感じたことと思う。彼の交響曲を聴くと、その作品の魅力のひとつに、作曲者の弦楽器の音色にたいする感覚の鋭さ、さらに深い愛着があげられよう。まず、その思いをまざまざと思い起こさせてくれた。弦楽器の柔らかく深い音色と愛をひたすら希求するルナ(=作曲者)の声との織り成す彩。音を聴いているはずなのに、あたかも極彩色の虹に包まれたかのような錯覚にすら陥る。<イノセント・ムーン>は作曲者が・・・・現在のところ・・・自作のなかで最も優れた作品である、と言っていることの内容がはっきりとわかる演奏であった。この作品全体を、生のオーケストラをもって上演して欲しい。そうなった時、オペラ、交響曲ではまだ見え隠れの別の魅力が堂々と現れるに違いない。

もうひとつ。舞台上演でなくてもいいのではないか。いわゆるコンサート形式での演奏でも、オーケストラが演奏するならそれでいいのではないだろうか。当日2曲のあいだにいわゆる台詞をほんのすこしさしはさんだ。それで話の筋はつながり、劇の上での流れは損なわれることがなかった。一瞬それがベルクの<ルル>等のシュプレヒト・シュティンメを思わせる雰囲気をかもしだしていた。最低限度の台詞をさしはさむことで劇としての一貫性、流れが滞ることはない。

さらに、全曲を聴きたいのは当然として、抜粋演奏でも作品を、その感動を十分に伝えることができるのではないか。たとえば学校でこどもたちが演奏できるミュージカルを作曲する場合、彼は何曲かを、あるいは1曲づつなかから取り出して演奏できるように、という配慮をしている。<イノセント・ムーン>もそれができる作品であるように思う。この思いやり、あたかもバロック時代の作曲家のようである。その場で入手しうる演奏家の腕に応じて、また演奏する場の雰囲気に応じて、抜粋、演奏できる。

首尾一貫、ロマンティスト水野修孝の音楽。
みぞれ降る1日であったが、とても幸せな1日でもあった今年のヴァレンタィンコンサートであった。来年は?
2005年2月22日                 小林裕子