作曲家、水野修孝(みずのしゅうこう)という名前を出すと、ああ、あのオートノミーの人ね、という反応が返ってきます。作曲者としては不本意でしょうが今でもそうなのです。それほどに37年前に作曲されたこの作品は当時、センセーショナルだったのです。筆者もこれを初めて聴いたとき、驚き、これがこの時代のアヴァンギャルド!と感じたことをいまだに思い出します。さて、この作品が先日演奏されました。

“戦後の作曲家たちの歩みを丁寧にたどる。そのことによって21世紀の音楽に何を求めるのかをたしかめよう、作曲家たちも聴衆も“。このような意図のもとにすでに過去3年間、第1期(15回)のコンサートが行われました。今年から第2期(第16−30回)が始まりました。今年(第16−20回)は主として1960年代の様々な分野の音楽が紹介されました。60年代といえば一言、前衛という言葉で表せると思います。1961年の夏、大阪で開催された現代音楽祭(20世紀音楽研究所主催)でジョン・ケージが紹介され、それをもって60年代がスタートしたといっても言い過ぎではないでしょう。いわば”前衛“で沸きに沸いた時代。

水野修孝(みずのしゅうこう)が主唱した“グループ音楽”という団体もこの時代のものです。即興を主体として活動、イヴェントをおこなっていました。声のオートノミーもこの時代末期、1964年に生まれたのです。西洋音楽の既成のものによらない作品を目指す、というより西洋音楽伝統の呪縛からのがれよう、規則性をまったく排除し、不規則なるものをもってなにか新しいものを、と求めたひとつの形だったと作曲家の言葉です。初演は当時の芸大楽理科の有志6人によってなされました。とにかく鮮烈な印象を世間に与えた作品です。

“新しい合唱I”と題されたこの日のコンサートで水野修孝の”声のオートノミー“が演奏されました。はじめてこの作品が生まれて実に37年という時間が過ぎています。37年という時間を経て、いったいどのようにこの作品が現代の空間に生まれるだろう、と期待と不安を感じつつ会場へ向かいました。当日の編成は6人のソロと13人の合唱(といって言いのでしょうか?)と、かつてより(初演は女声6人のみ)はるかに充実した編成でした。

作品が創られた時代は日本もはるかに貧しかった、作曲者自身も若かったのです。今はそうではありません。日本も豊かです。作曲者も年月を経て経験と知識とに充実しています。聞き手ももちろん変わりました。今では当時の前衛が古典に変わりつつあります。どのように響いてくれるのでしょう?こうした不安は第一声から吹き飛びました。鋭い切り口ではありません。でもなんと豊かな響きなのでしょう。そしてなんと柔軟なのでしょう。一人一人が発する音声が自由に空中を踊っている、なにかに反応しては向きを変え、色を変え、大きく、ささやくように私のまわりを響きわたっていました。

様相を変えてなお作曲者が音の世界に当時激しく求めた鮮烈さと純粋さが今なおそのまま、まっすぐに飛び込んでくるのです。この作品は永遠の命を得たのだ、ということを確認できたように思えます。作曲者が好むと好まざるとにかかわらず、この作品は日本音楽史上にその名を留めるものと確信いたしました。(H.K)