この作品は1999年9月に八千代市にて初演されたものです。今回の再演にさいし大幅な改訂をほどこしたとのこと、楽しみに亀有へと赴きました。

作品としては1999年上演のものとはかなり違った印象になっておりました。全体がはるかにダイナミックかつ繊細なものに姿を変わっておりました。作曲者特有の緻密な細部へのこだわりがはっきりと理解できるものになっていました。洗練されかつ一段と力強く純化されたと言って良いのではないかと思います。

さらに作曲者の意図、すなわちこの作品に託した作曲者の思い、作曲を通して世界に伝えたい祈りが明確に浮かび上がった作品になっていた、と言ってもよいかと思われます。作曲者自身が改稿を重ねた結果、また新たに作曲した曲の効果等々様々な要因があってのことですがなによりも出演者たちの精進が大きく寄与しているものと思われます。決して完璧な歌いではないにせよ長足に進歩には脱帽です。

作品の内容はかぐや姫です。それに現代日本の端的な風潮を組み込み一見おとぎ話の姿を借りつつその実日本のマスコミの風潮を批判した作品のように見せているのですが、深いところに作曲者の意図、思い、いや希求でしょう、それがうかがえる奥深い作品です。 暗闇のなかにルナの登場。そこから物語がはじまります。月から託された純真な姫ルナ、それを利用しようとするマスコミの姿で登場する現実世界の姿。

その騒ぎの続く中、ルナの純真さに己の真の姿、真の思いに気づく周囲の人々。大切なものを再認識する周囲の人々。最後は母の迎えに昇天するルナ。クライマックスを迎えようとするとき、大音響でオルガンの響き。その中に鐘の音が響き渡ります。一瞬ベルリオーズの幻想の世界を思わせる空気が漂ったように思えました。その中から世界的暴力への抵抗する作曲者の姿、祈る姿が浮かんできました。

そして最後の大合唱に確信を持ちました。作曲家・水野修孝の思い、作曲の原点はこれなのだ、と。昨年秋、早稲田大学の合唱で聴いたあの感動を思い出しつつ帰路に就きました。男声合唱のためのカオス。あの作品ははっきりとした反戦の叫びでした。このミュージカルでもまた永遠に平和を祈り続ける、いや叫び続ける姿を見たように思います。思春期を太平洋戦争のただ中ですごした世代といってしまえばそれだけのことかもしれません。しかし折しもニューヨークでのテロです。このミュージカルを聴いてこのように感じたのは私ひとりではなかったのでは、と思いつつ会場をあとにしました。